kusuari7777 diary

ありすの学問「 あり学」へようこそ                         ✨著書 「捧げたかった…。-twin soul fantasy- 」by リラン✨

🌺わざわざ表現しなくても表現できてしまうもの🌺

ただ生きているだけでも人間は何かと色々なことを経験できてしまうものでその経験が個人の言動になる。そこには決まって他者との関係がありその関係性がとても重要だと気づき始めるまで迷子のようなものだったなってことを経験した。様々な種類の人間関係を経験できたのは自分とはタイプの違う人たちのグループに身を置く機会があまりにも多かったからだと思う。私の今は人間の海の中を漂流し尽くした結果なんだとつくづく思ってる。どうにか飲み込まれないでここまでたどり着いて生きているんだと感じる。その経験の中で学んだことの一つに理不尽な受け入れがたい人格の人たちへの感情の対処がある。経験が未熟だった頃の私は表向きは笑って受け流していても心の中では不満を漏らしていてそれが習慣にさえなっていた。ある頃私はそれが現実に反映されているんだと気づいて「だから現実がこうなんだ!!」と確信した。その確信を裏付ける理由は過去を振り返ってみればすぐに分かることだった。だから気づかないままで生きていた「今までの私のようには生きられない!!」と思う新しい考え方の私が物凄いスピードで登場してしまった。私はすぐに心の中で言ってしまっていたネガティブな言葉を言わないように心がける習慣を身につけようと努力した。つい言いそうになった時には「なんとも思わないなんとも思わないなんとも思わない…」と繰り返し言い続けて心の中を鎮めた。心の中で愚痴や文句を言わないだけで生きる環境がだんだん変わっていくのを体験してしまった私はその波に乗っていつもご機嫌でいられるようになった。私の性格が変わるチャンスは私に十分な準備ができるまで形になりたくても形にはなれずにいたに違いない。この私のチャンスは様々な経験を積み重ねてある地点に到達したからやっと形になれたチャンスだったのか?と思う。そう考えると知らないままで過ごしていた悩める日々はたくさんの経験を私にさせるために必要だった時間になる。私は人よりもペースがゆっくりだからこんなに時間が必要だったのか?と疑問も浮かぶ。それよりも何よりも私は幼少期から内向的だったから経験値を上げるために時間ばかりかかってしまったんだ。もしも私が幼少期から天真爛漫で物怖じしない子どもだったらそれはそれはたくさんの経験をしていただろうからものすごいスピードで自分の環境を変えることができていたんだろうなと思える。だけどそんな「もしも」なんて考えても今さら仕方がないから私の今までのことを私が認めてしまえば許してしまえば「これでいいんた!!」って胸を張れるまでの激しい感情はないにしてもスッと胸に染み込む感情があるのがわかる。だからこれでいいんだって私は私のためにそう思えることが自然でホッとすることなんだと普通に思えるのが心地良いんだと感じるから私はこれからも心の赴くままの私のペースを大切にしていく。