kusuari7777 diary

ありすの学問「 あり学」へようこそ                         ✨著書 「捧げたかった…。-twin soul fantasy- 」by リラン✨

🌺あの日から変化し続けた人類の宗教🌺

始まりの日に立ち会った人ならわかるのだと思う。始まりの日に立ち会った人は終わりの日にも立ち会うという。そしてまた新しい始まりの世界で生き続けるという。闇の考えを織り込んだ宗教に夢中になりやすい人類のことを闇は上手にコントロールしてきた。エゴが強くある人類たちは闇のコントロールに気づきにくく自分の弱さや恐れのせいで闇の思うままに利用され続けてしまいがち。人類にもしも弱さや恐れがなくなったとしたら誰も今ある宗教なんかやらないしやる必要を感じないはず。だって弱くもないし怖くもなかったら誰かに何かに助けてもらおうなんて思わないし考えないし全部自分のことは自分でしてしまえる世界なら宗教そのものが存在できていないのではないかと思う。宗教にすがるってなんだろう。自分を信じられないから宗教を信じて安心してみると精神的にも物理的にも自由がなくなってしまうはずなのに。だって宗教って何かとやることが多くて忙しそうだしお金もかかりそう。宗教にすがるよりも自分自身の心身を鍛えることを選んで試しに自分の忍耐力にすがっていれば自由でいられて宗教に費やす時間もお金もいらない。自分を信じてあげられないから自由じゃなくなったりお金がかかったり忙しくなっちゃったりするんだろう。一回すがると中毒のようにずっとすがり続けてしまうように見える。無宗教者であったとしても日本人だったら神社仏閣に夢中になったり占いやスピリチュアルグッズに頼ったり色々と宗教めいたことを体験できる。その類いのことは世界中にありふれているけれど誰がのめり込んでみてもそれはただの経験でそれ以上のものを与えてはくれない。そして誰かに何かに頼っているうちは何の核心にも触れられないし精神が辿り着かなければならない所へたどり着けない。無意識に無意識なことをしているだけで心の空洞が広がってしまうからただ夢中になっていることに夢中になる経験をして安心しているだけなのではないかと思う。でもその時間の経過の中で勇気を試される経験を差し出されたのなら逃げずに受け取るのがいいに決まっている。少しの変化を大きな変化に変えるキッカケは心の中をえぐられるけれど過ぎ去ってみればありがたかったと思うことばかりのはず。もしもこの世界の様々な宗教が真実なのであればそれをすることによって精神的にどんどん強さが増していき独立したがるのではないかと私は思う。けれども私には集団でいる安心感に支配されてしまっているように見えて宗教をしていて精神的に強くなってその宗教を卒業できる人がどのくらいいるのかが疑問。そして多くの宗教家たちはそんな素晴らしい信者の成長は望んでいないと感じるし信者が増え続けているのであろう現状を観照している私は多くの宗教は真実ではないと思う。宗教家たちはたくさんの人々にいつまでも弱さと恐れを持ったまますがり続けてもらった方が富が確保できて都合がいいし夢中でいてくれることによって自分の立場を永続的なものにできると言うことをちゃんと知っている。因みにこの教祖/宗教と信者の関係は宗教に限らず社会の至る所で見られる人間模様だと私は思う。真実の宗教とは師は惜しみなく与え求める者は教えられたことを実践し続けいずれ独り立ちできる精神性まで達した時に共に喜び合い師の元を立ち去れることをも共に喜び合いお互いがそのことを望んでいた状態において成立するのだと私は思う。何事にも何者にも依存しないほうがいいし依存させないほうがいいのだと思うから。因みに私が思う光と闇の違いは闇の宗教には様々な儀式がありグッズがあるけれど光の信仰には儀式もグッズも必要なくエネルギーの扱いだけというところ。世の中の宗教は光と闇とが混ざり合ったものが一般的に言う宗教になってしまっているけれど本当だったら光100%が望ましいに決まっている。光と見せかけて実は闇の手法で闇は何世紀にもわたり宗教を利用し人類をコントロールしてきているから数えきれない宗教以外のそれらも光に見えてしまうことが今現在の人類の当たり前になっていて実際にそう目に映っているから疑うこともなく普通のこととして信じてしまう。ガイアがアセンションを果たしてまだ目覚めていない多くの人類が目覚めた時いままで当たり前だと思っていたこの世界の真実を人類は目撃することとなる。