kusuari7777 diary

ありすの学問「 あり学」へようこそ                         ✨著書 「捧げたかった…。-twin soul fantasy- 」by リラン✨

🌺理解し合うが当たり前の社会を出現させる🌺

「親」という括りの中で親がどういった「思い」で親という立場を意識しているのかによって子どもの育ち方に差が出る。そしてその親の「意識の質」によって我が子の扱い方にも差が出る。「親のエゴを常に感じて育つことは心理学的に子どもの未来にどう影響するのだろうか?」そんなことを親たちが保護者会とかで先生に教育される未来の学校の在り方があればいいのになって私は思う。私は幼稚園や小学校でやさしくやんわりと「親のエゴの種類」とかを教えてもらえていたのなら自分の生活環境の質にももしかしたら気づけていたかもしれないなんて思ったりする。また小学生の段階で「親のエゴの対処法」とかを教えてもらえたのなら私にはとても役に立っていたと思うし心が救われていただろうなと思わずにはいられない。「虐待」とはどういうことなのか?をその子どもが理解していない限り虐待されていることになかなか気づけないから「なんでこんなに怒るんだろう?」とか「なんでこんなことされるんだろう?」と思うだけで理解できないまま親に虐待し続けられてしまう。子どもは純粋だから自分のせいにしてしまいがちで親に愛されたいために忍耐強くなってしまったりする場合もあるだろう。そして虐待している親も「虐待とは?」を深く理解していなければ虐待しているつもりがないのでその行為をやり続けてしまいがちでその行為がエスカレートしてしまうケースが多いんだろう。私の体験上「人権」に対する高い意識や知識は世界的な基準での大まかな教育が今の日本人には必要でその教育を幼稚園とか小学生から高校卒業まで継続して受けていける環境が望ましいと思う。もうすでに新しい時代になっているんだから「男女平等」って言葉さえ私にはとても古臭く聞こえるし一体人類は「そんなこといつまで言っているつもりなの?」って感じ。当然これからは男女平等どころか「人間平等」の新時代の意識でみんな生きていけばいいのにって思う。私は性別とか肌の色とか生活水準とか学歴とか財産とか住んでいる国とか地位や名誉や立場…それどころかその人が善人とか罪人とか…私たちを分離させている「意識」そのものは一体なんなんだろう?と別にそんなこと何も考えなくていいからただなんとなく誰にでも親切にしていればそれでいいんじゃないのか?って思うしそれが世界の平和につながっているんだと思うことにしている。だって誰かのことをあーだこーだ言える人間なんてこの世界に一人もいないと思うから私は単純な意識でせめて自分の意識だけでも平和を保っていれば自分の周りが平和になるんだろうと思うからそうする努力をしている。そんな些細な私の創り出す世界のことがいつも大きな世界へとつながっているって思うからそうしているだけなんだけど。だから私にとってワンネス意識はとても大切な意識なんだと思うからこのことも出来れば学校で教えてもらいたかった。私が思うに心理学とか哲学とか精神世界のこととか幼い頃から少しでも馴染みがあったのならば何かあった時に自分で解決策を探し出す力を養えると思うし自分自身のことを理解するきっかけ作りにもなると思う。とにかく私は「私が何者であるのか?」とかとても知りたかったし「何のために生まれてきたのか?」とかずっと考えていたしそれでも「何でそんなことばっかり考えてしまうのか?」とも思っていたりとただただ漠然としていた時期が長すぎたからその学問が子どもの頃から必要だと強く思うのかもしれないけれど。それでも子どもたちにその類の教育の必要性を私は感じるからそう遠くない未来でそれらの教育が出現していればいいのにななんて思う。まずは自分を理解することが相手を理解することにつながると私は思っているから子どもたちにはそのことをやさしくやんわりと教えてあげられる教育があるという事実は将来の自分自身の心を救う手伝いを「過去のその教育が果たせる可能性が大いにある」につながると思う。

🌺色彩が織りなす意識の変化🌺

この世界は様々な色で溢れていて私はその時々の気分で色を選んでその色を身につけたり身の回りに置いて楽しんできた。私が選ぶ色は私の心の色であったから時代とともに私の選ぶ色は変化していって「今この地点」で私が選ぶ色に私は心穏やかに満足している。自分の色歴史の移り変わりをとても面白おかしく今実感していてあの時代にあの色ばかりを選んだり好んだりしていたのが思い出とともに懐かしくよみがえったりする。あの時期はあの色ばかりでこの時期はこの色ばかりで…みたいな感じにある一定の時期その色ばかりに囲まれていたりしたから随分とその色の影響を受けていたのだろうなと思う。その時々の好みの色のパワーに助けられて私の心もどんどんと明るく元気になっていったんだなと今思える。私にとって色彩は人生においてとても重要な役割があって生きてきた色とりどりの心模様の象徴だな。ある時期に私は生まれ変わったように生きてみたくて無理やりにでも明るい色を生活の全てに取り入れてみた。それまでの私は寒色系を好んでいたしその色味に心の安心を覚えていたから暖色系が選択肢に殆どなかった。たまに選んだ暖色系に心がソワソワしてしまうことさえあった私は冒険を好まない性格がずっと長く定着していた。でもその見えない得体の知れない感覚のブロックを壊してみたくなった時期に私は生活の全てにおいて意図的にいつもと真逆のことをしていたから選ぶ色もいつもと真逆の色にした。意図的に意識的に意欲的に「そうしたい!!」と思う私にとってそのいつもと真逆ことをするという行為のソワソワ感がとても気持ちの良い刺激になりすぐにそれがワクワク感に変化しまるで私の細胞の隅々まで新しい感覚で満たしてくれているみたいだった。その感覚は変化を強く望む私にとってウキウキが止まらないままでの生活がさらさらとトントンと流れて行くようで毎日がご機嫌そのものだった。あの時の私はあのカラフルさに魅了された生活の色を喜んで取り入れられる自分のことが嬉しくて自分を中からも外からも変化させることに夢中になっていた。そしてあの夢見心地な時期を過ごした私が存在していたおかげで私の世界はあれから大きく変化し今の穏やかさの中にたどり着いたのだろうなと思う。

🌺自由という最高の感覚を身につける🌺

私は制服を着たくない感覚の持ち主だと言うことは先日書いたけど…昔あるボランティアに参加した時にお揃いのTシャツを着なければいけなかったことを思い出してしまった。そんなこと事前に説明があるわけでもなく当日に当たり前のように差し出されたTシャツに敏感に反応してしまったのは私だけかもしれない。どうしても着たくはなかったそのTシャツを持ちながら私の頭の中を言葉が言葉が言葉が溢れ出して埋め尽くす。みんなにとっては何の抵抗もなく着られるこのTシャツが私にとっては「あ〜もう帰りたい!!」と言う結論にたどり着いてしまうんだ。そしてあんなに楽しみにしていた私のせっかくのワクワク気分を一瞬でひっくり返すそのTシャツの威力を私はそのTシャツを見つめながら感じまくっていた。人知れず心のざわつきがしばらく続いてしまっていた私はTシャツを着ないままちょっとした雑用を何気にしてしまっていた。それはみんなが着替え終わるまで続いたけれど無駄な抵抗だとわかっていても体がついその行動を取ってしまっていたから自分でも滑稽だった。そして渋々そのTシャツを身につけながら「今日のコーディネートが台無しだ」とがっかりしている私がいた。だけど身につけてしまったからには何だか潔さってものが湧き出てそのあとのボランティアは十分すぎるほどに楽しめたから何だかそれも面白かったから不思議。人間としての感覚的こだわりがあの頃の私は強かったから何かにつけその壁感にぶち当たっていてそれに費やす時間の無駄さに全然気づくことなんかなかった。育った環境が私をそうさせていたとわかった時から私は私を私がより自由な感覚を身につけられるようにと自らを教育し直し続けていった。親に育ててもらって仕上がった私という人間は私にとってとても窮屈で生きづらさを感じでいたから私は私を今までとは真逆の感覚で育てなおしてしまった。その作業はとても簡単で私を自由にしてあげるだけで済んだ。私が私を自由にしてあげると私という人間は親の支配下で生きていたことがとてもよく分かりだした。一般的にいうなら親はエゴで子どもを支配しがちな生き物で自分の思う通りに育って欲しいと思いがちなところがあるのだと思う。そのことに私が早い時期に気づけたり勇敢だったりしたのなら自立心が芽生えて自分の人権を守れたりもしたんだと思う。けれど私の場合は恐怖の対象が親だったから「反抗したら虐待されるとわかっているから従ってしまう」という負のループから抜け出す勇気もなくそれどころか「私はぐずぐずしてダメな子だからもっとちゃんとして怒られない子にならなくちゃ」と思っていたりして虐待の意味すら分かっていなかったんだ。でもこれから先のそう遠くない未来では「自分の人権を守ること」について幼い頃から教育されていくんだろうから世界的に見て先進国なのにとても意識が低い日本人の人権教育も世界と足並みをそろえていくことになるんだろうな。

🌺精神的に進化した人間の世界は愛だらけ🌺

世界のあり方がが変わろうとしているから世界中で色々な問題が浮き彫りになった事柄が起こり続けているんだね。遠くない未来で今よりも精神的に進化した人間の間では小競り合いがなくなるだろうし小競り合いがなくなれば大きな争いは存在しないんだろう。そして精神的に進化した人間は勇敢になって相手を信じ抜ける。私にとって「信じ抜く」ってことは例え騙されてしまったと分かってもその場合の事実が自分にとって最終的には痛手にはならないってこと。信じ抜いた自分に満足して相手の行いを最終的には許せるってこと。信じ抜いた自分と相手を裏切らせてしまった自分の問題点と相手が裏切り行為に至るまでの感情の問題点を切り離して考えられるってこと。裏切るに至るまでに相手には懐疑心のきっかけがあったりして懐疑心があるとそこに恐怖心も生まれてしまう。恐怖心は自分を守ろうとするから人間は裏切られて自分が傷ついてしまわない選択をついついしてしまうのだろう。それでも人間は進化し続ける生き物だから色々と経験を積んだのならば少しづつでも勇敢さっていうものは育っていく。だからとてもシンプルに考えると相手を疑わなければ怖がらなければ信じ抜く行為は人間にとってとても簡単な想念になる。もしも世界のリーダーたちが高次元の意識に覚醒してテレパシー能力が装備されたのならば今までしてきた無駄な行為が全くなくなって全ての話が簡単に片付くのにね。各国のリーダーやその関係者たちが面倒な駆け引きなんてしないでただの正直者になっている姿を思い浮かべるとなんだか微笑ましいよね。真実の世界はとてもシンプルだから今までしてきたお偉いさん達のややこしいやりとりが省けて国民にも分かりやすくそれは国民にとって最高に気分が良いことだろうね。あと軍事費なんかにお金をかけなくて済むからというか軍事費がなくなるからその分国民は豊かな暮らしができるし嬉しいことばっかりだよね。世界中のリーダーたちがただただ勇敢になるだけで直ぐに「素晴らしい世界に変化するのに!!」っていつも思う。私の持論は「威張っていると言うことはあなたと言う人間が怖がりで弱虫な証拠です」。だからすぐにその人の問題点を探したくなっちゃうクセがある私は権力なんかを絶対に振るわれたくない。因みに私は「勇敢じゃない人間はリーダーになってはいけない!!」っていう国際ルールができればいいのにってほんと思うよ。だって勇敢じゃない人たちが今までリーダーになっているからいつまでたってもこの有様の地球の歴史が続いているわけだからって思うから。例えばの話でアボリジニとかネーティブアメリカンとかその他その類の精神性の高い人たちで世界の政治が成り立っていたのなら人類の暮らしは豊かになる一方だと思うな。私から見た色々な分野の今のリーダーたちは親や先生が幼い子に言う「こういうことをしてはいけません」的なことを陰で平気でしてしまえる精神の持ち主に見えるから。自然とともに生き抜いてきた人たちの価値観や精神性は現代人が忘れてしまっている魔法の使い方を思い出させてくれると私は思うんだよね。愛に目覚めて魔法が使えるようになったその先からが人間にとっての本当の人生の始まりなんだと思う。夢から覚めてから「目が覚めた」とそのことに絶対に気づくからそれまでずっと夢に専念することになるけれど覚めた時にははっきりと自覚できるから安心もできる。そんな素敵な仕組みを宇宙は全ての人類に与えてくれているこの新時代の流れが私はとっても嬉しいんだよね。

🌺自分らしさとの自由な関係🌺

例えばの話で…ずっと続いてきた男性社会が終わってしまって女性中心の世界が今後出現したのなら戦争ってありえないんじゃないのかな?なんて過去の私は思っていた。だって世界の女性リーダーたちが国民や自分の愛する人や自分が産んだ子どもを戦争に参加させたいかって言ったら絶対に「NO!!」だと思うしなんとかして平和的に話し合いで解決したいって思うんじゃないかなと自分の美しい理想をあの頃の私は真剣に思い描いていた。でもあれから世界は嬉しく変化し今はジェンダーを考える世界がもうすでに出現しているから個々の差って対立の対象じゃ無くなる方向に行くんだろうし様々な事柄を認め合い許し合うこれから先の世界は何よりも美しい世界なるんだろう。今は地球規模で男性性を解放している女性や女性性を解放している男性も増え続けているから私たち日本人が今まで当たり前に刷り込まれてきた「女らしさ」「男らしさ」って一体何だったんだろう?って過去を面白おかしく笑い飛ばすくらいの世界の出現は何だか今からとてもワクワクする。私の経験上に「本当に」男らしい男や女らしい女を感じることなく過ごした日々の違和感があって「女らしさとか男らしさって何?」ってその言葉が謎だった。だからこれからの社会の在り方は私のその謎の感覚がリセットされそうで嬉しい。私は女らしさとか男らしさとかそんなの関係なくいつも過ごしたいしそれよりも人間らしさとか自分らしさを発揮していれば全て上手くのでは?と思い現にそう過ごしている訳は実は私にはそれしかできないからなんだと思っている。過去の私は男性が本当の人間らしさや自分らしさを発揮していれば「かかあ天下なんて言葉はないのでは?」とか「女性がどんどんと男勝りになっていかなくて済むのでは?」なんて思っていた。その逆も然りで女性が本当の人間らしさや自分らしさを発揮していれば「女々しい男なんて言葉はないのでは?」とか「男性が亭主関白になる必要性がないのでは?」なんてことも思っていた。私が思う人間らしさとは女性性と男性性がバランスよく装備されている状態だから「女性らしさ」「男性らしさ」の概念の外側のどこまでも自由な感じの自分らしさの中にある。だから大げさに言うのなら本当は弱くない女性が女性らしさを演出して弱々しく「守ってもらいたい」みたいな感じに振る舞わなくてもいいと思うし本当は強くない男性が男性らしさを演出して勇ましく「守ってあげなくては」みたいな感じに振る舞わないでもいいと思う。自分を演出すると相手に誤解を生んでしまうからそれよりもより自然体に近づく行為を続けていく方に価値を置けば相手との関係性が調和へ近づくと思ったりする。だから人間は人間らしくありのままに振舞っていればいつか大切な何かに気づきいずれエゴが薄れ本当の自分らしさを素直に振る舞えるようになるんだと思う。そして何よりも人間らしさを発揮したことによる個人の経験を積み重ねた結果が自分らしさと一致した時に本当の自由や平和や愛を手にできるのではないか?なんて思う。そしてついにその時が来たのならば疑いようもないくらいに誰もがはっきりと自覚できるはずなんだとそう私は信じているし絶対にそうなるんだろうと思っている。

🌺月はニッケルでできている🌺

ある日の目覚めた瞬間に「月はニッケルでできている〜」ととても大きな元気な声がまるで笑いながら言っているかのように聞こえてしまった。私の人生は不思議体験がとても多いからその日も朝っぱらからウキウキワクワクの気分にさせてもらえた。もしも本当に月がニッケルでできていたのなら将来的に人間は月を地球みたいに欲だけに従いボコボコに掘り返してしまうのだろうか?例えばもしもニッケルだけではなくてコバルトなんかも沢山あるって人間に知られてしまったのなら月は今後どのような姿になってしまうのだろうか?なんて思ったりする。人間の欲の取り扱いにはとても注意が必要でそれを意識していない人生と意識している人生での「差を意識している」という在り方が自分のためになるなと私はそういつも思って生きている。「人間は欲張りな生き物だ」ということを前提に自分自身の人生を考察してみると「はっ!!」とする過去の事柄が思い浮かんだりもするからすんごいためになったりする。「人間の魂の幼さは欲と比例してしまう」というたくさんの実体験を通して自分自身が今まで欲とどう向き合って人生の組み立てをして今の結果という暮らしにたどり着いているのか?を客観視するのが私にとってとても面白い作業だったりした。だからメタ認知を習慣づけてしまうと様々なエゴを意識しないで生きていた過去の自分にはもう戻れない自分自身になれたって今の私は実感している。そして人類全体が今まで「人間は欲張りな生き物だ」という歴史をたくさん積み重ねてきた結果が今のこの地球の有様だからその歴史をそろそろ終わりにしてもいいんじゃない?という人類でこれから先の世界が溢れたのなら必ず素敵な世界になるに決まっているって私は思う。そんな小さな変化が世界中で今起こっているこの新時代の流れがとても私には心地よいしワクワクできるしこれこそ究極の予定調和だって思える。コロナだけど世界のシステムがどんどん良い方向へ向かっているって感じるからコロナが終わったのならばとてもシンプルで住みやすい暮らしが手に入りそうな予感を私は感じていたりする。今現在「欲体験」が進行形の人たちは試しに三週間とか三ヶ月とか自身の欲を意識して欲を捨てて物事を考えて言ったりやったりすると自分自身の嬉しい変化に気づけると思う。私の新時代のテーマは「エゴを手放すと良いことばっかりしか起こらない」だな。

🌺許しあえる関係の心地よさへの追求🌺

大人になったら就職しなければならないことを考えまだ未成年だった頃の単純な私は何を一番に思ったかというと…「ストッキングを履きたくないからストッキングを履かないですむ仕事をするのがいいな」だった。高校生の時に友達は冬になるとストッキングの上に靴下を履いて「あったかいよ」とやけに嬉しそうに言っていたので私は試しに真似してみた。でも初めてストッキングを履いたあの気持ちの悪さに私は「二度と履きたくない」と強く思ってしまった。そういえば幼稚園の時も親が履かせたがるタイツを拒絶していたことを今思い出してしまった。因みにチクチクする素材やタグも苦手で中高生時の制服も窮屈でならなかった私は制服を着なければならない仕事を絶対にしたくなかった。だからそうなんとなく思っていてある偶然も重なってある専門学校に入ってある会社に採用された私は「希望した会社は採用されなかったけどこの会社でも同じ職種だからストッキングは履かないで済む」なんて「まぁいいか」的に思っていたのに研修期間中に制服を着なければいけないことがわかってしまった。そして入社して黒のワンピースにパンプスで慣れない仕事に慣れないパンプスの履き心地は私を疲れさせた。新人が15人ほどいてみんなパンプスを当たり前のように履いていたけれど私は試しに「ローファーを履いたら楽」的な発想だけで1ヶ月我慢したパンプスにさよならしてしまった。初日は「注意されるかな?」とソワソワしていたけれど何事もなく一週間二週間三週間と過ぎて行き私はローファーの履き心地を一人で嬉しがっていた。でもその間にどんどんとローファー者率が増え続け十数人になった時についに「ローファー禁止令」が出てしまった。理由は「この制服にはローファーは似合わないから」だった。そして「5㎝以上のヒールでなければならない」という規則までできてしまい「えーーーっ!!」だった。とっても残念でならなかった私だったけれどでも「みんなもやっぱりパンプスなんて履きたくなかったんだって分かってなんだか嬉しかった」から私はそれだけで気が済んでしまった。因みにこの会社では私が原因で「香水禁止令」というのもできたりした。私はある女性の上司に「私この香水の香りきらい」と何回か言われていたけれど「そうなんだぁ」とただ思っていただけだった。私はその上司のつけていたその香りが好きだったけれど上司は私の香りはきらいなんだとその事実を認めただけだった。そして「人の好みって色々で面白いな」なんてのんきに思っていただけでそれ以上の空気が読めずにいた若さいっぱいの無知な私をあの当時の上の人たちは誰も許してはくれなかったんだなと今なら思える。その時も禁止令の「理由」があったんだれけど今は全く覚えていないくらいだから「ん?」と思える理由だったのかもしれない。あれから時代は良い方向へ変化し続けているから「人との違いを受け入れて面白がってすべて平和的な発想に変化させる」そんなこれからの許しあえる世界が私には心地よいだろうから「これからの世界がとっても楽しみだな〜」と今思ったりする。