kusuari7777 diary

ありすの学問「 あり学」へようこそ                         ✨著書 「捧げたかった…。-twin soul fantasy- 」by リラン✨

🌺自分らしさとの自由な関係🌺

例えばの話で…ずっと続いてきた男性社会が終わってしまって女性中心の世界が今後出現したのなら戦争ってありえないんじゃないのかな?なんて過去の私は思っていた。だって世界の女性リーダーたちが国民や自分の愛する人や自分が産んだ子どもを戦争に参加させたいかって言ったら絶対に「NO!!」だと思うしなんとかして平和的に話し合いで解決したいって思うんじゃないかなと自分の美しい理想をあの頃の私は真剣に思い描いていた。でもあれから世界は嬉しく変化し今はジェンダーを考える世界がもうすでに出現しているから個々の差って対立の対象じゃ無くなる方向に行くんだろうし様々な事柄を認め合い許し合うこれから先の世界は何よりも美しい世界なるんだろう。今は地球規模で男性性を解放している女性や女性性を解放している男性も増え続けているから私たち日本人が今まで当たり前に刷り込まれてきた「女らしさ」「男らしさ」って一体何だったんだろう?って過去を面白おかしく笑い飛ばすくらいの世界の出現は何だか今からとてもワクワクする。私の経験上に「本当に」男らしい男や女らしい女を感じることなく過ごした日々の違和感があって「女らしさとか男らしさって何?」ってその言葉が謎だった。だからこれからの社会の在り方は私のその謎の感覚がリセットされそうで嬉しい。私は女らしさとか男らしさとかそんなの関係なくいつも過ごしたいしそれよりも人間らしさとか自分らしさを発揮していれば全て上手くのでは?と思い現にそう過ごしている訳は実は私にはそれしかできないからなんだと思っている。過去の私は男性が本当の人間らしさや自分らしさを発揮していれば「かかあ天下なんて言葉はないのでは?」とか「女性がどんどんと男勝りになっていかなくて済むのでは?」なんて思っていた。その逆も然りで女性が本当の人間らしさや自分らしさを発揮していれば「女々しい男なんて言葉はないのでは?」とか「男性が亭主関白になる必要性がないのでは?」なんてことも思っていた。私が思う人間らしさとは女性性と男性性がバランスよく装備されている状態だから「女性らしさ」「男性らしさ」の概念の外側のどこまでも自由な感じの自分らしさの中にある。だから大げさに言うのなら本当は弱くない女性が女性らしさを演出して弱々しく「守ってもらいたい」みたいな感じに振る舞わなくてもいいと思うし本当は強くない男性が男性らしさを演出して勇ましく「守ってあげなくては」みたいな感じに振る舞わないでもいいと思う。自分を演出すると相手に誤解を生んでしまうからそれよりもより自然体に近づく行為を続けていく方に価値を置けば相手との関係性が調和へ近づくと思ったりする。だから人間は人間らしくありのままに振舞っていればいつか大切な何かに気づきいずれエゴが薄れ本当の自分らしさを素直に振る舞えるようになるんだと思う。そして何よりも人間らしさを発揮したことによる個人の経験を積み重ねた結果が自分らしさと一致した時に本当の自由や平和や愛を手にできるのではないか?なんて思う。そしてついにその時が来たのならば疑いようもないくらいに誰もがはっきりと自覚できるはずなんだとそう私は信じているし絶対にそうなるんだろうと思っている。