kusuari7777 diary

ありすの学問「 あり学」へようこそ                         ✨著書 「捧げたかった…。-twin soul fantasy- 」by リラン✨

🌺埒が明く人に言ってみる🌺

専門学校生だった3年間に私はお持ち帰り寿司チェーン店でバイトをしていた。だからそのバイトのスムーズさを求めてある日私は店長にお願い事をした。それでも何度お願いしても話をうやむやにされたので店長にはそうする気がないことに私は気づいて「どうしよう?」と悩んだ。私はバイト仲間全員が気持ちよく仕事ができるためにどうしてもそのお願いを店長に叶えてもらう必要を強く強く感じていたからしばらくモヤモヤした日々を過ごしていた。でもしばらくすると私にとって都合が良い出来事が思いがけなく起こったのでそのチャンスを私は絶対に逃したくはなかった。それでもそのチャンスをものにするためのアクションはあの頃の私にとってとても勇気がいることで言い出すタイミングを待っている間ドキドキが止まらなかったことを今日思い出した。チェーン店だったバイト先には定期的に統括本部の担当者がチェックをしに来ていた。いつもだったら(多分)30歳くらいの優しいお兄さん的な人が来るのにその日は(多分)50代のおじさんでしかもいかにも上の人っぽい感じだった。バイト仲間に聞いたら統括本部長とのこと。そんなことを聞いちゃったし店長の気の使い方の異常さも目の前で見ていた私は「偉い人なんだ」と思っただけでこっちまで緊張していた。だけれども私にはその時その緊張とは裏腹に「店長に言ったって埒が明かないんだからこの人に言えばいいんじゃん!!」という大胆な思いつきも浮かんでいた。でもそのことを実行に移すまでの勇気がなかなか湧かないまま私のバイトの時間はどんどん過ぎて行った。どのタイミングで私がロッカールームまで足を運び統括本部長と店長の話に突然割り込んだかは忘れてしまったけれどとにかく私のミッションは無事成功した。突然話だし統括本部長に長々とお願いしたいことを全て言い切った私はとてもスッキリしてそしてそれを快諾してくれた統括本部長と話ができて心の底から「あぁ〜よかった!!」と思えた。今思えばあの出来事は私が生まれて初めてしたプレゼンテーションだったと思うし実際の物を持ち込んであーだのこーだのと説明するとすんなりこちら側の切実な思いも伝わることがわかった体験になったと思う。このことがきっかけでその後のバイトは私が卒業するまでなんのトラブルもなく何よりも私が気持ちよくバイトができる環境のままでとても嬉しかった。あの時の勇気は自分でもホントびっくりだったけれど自分の世界を自分の気持ち良い環境に変化させていく走りになっていたんだと今となっては感じる。後で店長に「お前あれは直訴だからな!!わかってやってんのか?!」って言われたけれど無知な私は分かるわけもなく後でこっそり調べてしまった。大人になると「そう思い込んでいるから身動きが取れない」に遭遇したりする場合が社会生活の一部としてあるけれどある意味無知は私を怖いもの知らずにさせてくれる便利なアイテムなのかもしれない。常識って人それぞれ違うから常識に囚われていると何が何だかわからなくなる世界に陥らないのかな?って私は思う。「なんでもありの世界に生きていた方が断然おもしろいに違いない!!」ってそう私は思って生きていたい。

🌺しぶとさと諦められないの足し算🌺

今でも普通の人より運動音痴なんだと思う私なのに「芸人さん運動音痴選手権」みたいな番組を見て笑ってしまうと「私もきっと誰かを笑わせられるかもしれない」と思ったりする。その番組の芸人の皆さんの運動音痴ぶりは極端で私からみても「本当なのか?演じているのか?」を疑ってしまうほど。その番組を見るまであそこまで運動音痴の人が身近にいなかったから「私よりある意味レベルが高い」運動音痴ぶりが本当に信じられなかった。きっと芸人さんだから大げさにしてワザと笑わせているのかもしれない?と思っている部分が少しあったりするけど…やっぱり本当なのかな?とも思ったり…なんかどーでもいいことに悩んじゃう感じ。思えばいつだって私は運動音痴を一つの個性として受け止められずにいつもジタバタしていて「この世の中から体育の時間がなくなればいいのに」と思いつつも「練習して颯爽とやりこなせる私」を夢見ていた若い頃があった。でもそんな現実は訪れないままに私は大人になっていく。そして大人になると運動を披露する場がないから体育の授業のイヤイヤ感の思い出も運動音痴も忘れながら生きられる。それでも面白いことに全く運動をしない生活の中で友達から「ジムに行こうよ」なんて話をされると「行こう行こう!!」と盛り上がる私もいたけどそれでも結局はジム通いはしなかった。でもある日運動不足がピークに達したのか朝起きると足の裏が痺れていた。それでも私は3ヶ月も何もしないまま放っておいたから毎朝足が痺れていたままだった。のんきな私も「どうしたらいいのか?」と思い始めたところでタイミングよく友達から「バドミントン一緒にしない?」と誘われた。私は中高とバドミントン部だったので喜んですぐにそのサークルに入ってしまった。そうしたら週一で2時間バドミントンをしただけで足のしびれは1ヶ月もしないうちに治ってしまって本当にびっくりした。「運動医者要らず」なんだと実感してしまった。だからその後バドミントンのサークルを二つに増やしてテニスのスクールにも別の友達と入会したりして運動に積極的に取り組む私が出現してしまい自分でもびっくりするくらいの運動量の日々を送っていた。忙しかった日々だったけれど全然疲れなかったからそれもびっくりでだからどんどん心身ともに健康になっていった気がする。因みに運動音痴の私だったからバドミントンをすれば「それはバドミントンじゃない」と言われテニスをすれば「それはテニスじゃない」と言われ上手な人から首を傾げられていたけれど「ただ私は楽しくて楽しくてたまらない」から何を言われようと何も気にならないであの時はそれぞれに没頭していただけだった。だから私はきっと強引にみんなになんだかんだを許してもらっていたんだと今だから思えるけれどあの時は無我夢中でなんにも考えていなかったから今更だけど「みんなごめんね!!」だな。それでもあの数年の日々があったから私の運動能力は私が(あくまで私が)びっくりするくらいに伸びた気がする。だから私としては誰に何を言われようと何も気にせずになんでもしぶとく諦めなければなんとかどうにかなるんだなって体験できたことがただただ嬉しい。

🌺その時々に出逢う言葉🌺

私に必要だからそのタイミングで出逢う言葉たちであふれた世界の中に私はずっといてそれをつないでずっと生きてこられた。氷川きよしくんが恩師から頂いたという言葉を目にした私は「きよしくんのことだから素直に受け止めてその言葉とともにきよしくんは今存在を証明している」と思った。その言葉が書かれたコピー用紙を冷蔵庫らしき扉にマグネットで貼り付けているきよしくんの心をなんとなく感じとれる。ちなみにその言葉とは…「怒らない・威張らない・焦らない・腐らない・負けない」で「毎朝鏡に向かって3回叫ぶ」って書いてあった(と思う)。きよしくんらしく受け止めたから今のきよしくんが出来上がっているんだと私は思う。言葉っていつもとても面白いと私は感じる。ある時ある知人が言っていた。好きな芸能人があることを言っていたらしくその言葉は以前私がその知人に言った内容とほぼ同じなんだけど「好きな芸能人の口から聞いたからとても心に響いた」「何を言ったかじゃなく誰が言ったかなんだよね」って正直に言われて私は妙におかしくて笑ってしまった。つまり私が言ったことはあの時全然心に響かなかったらしくでも今となっては「自分の好きな芸能人と同じことを言っていたなんて…」と変な角度から私に感心したみたい。だから自分が好きな芸能人等々の言葉というのは一般人の人生に大きく影響していることになるわけでその個人がどのタイミングでどんな言動に出逢うかはその芸能人等々とその個人の引き合う周波数によって大きく左右されているんだって私は理解していたりする。そう踏まえて自分の行いを修正し続けていれば素敵な言葉だらけの自分の世界に変化していくことを私は知っているから私の世界がどんどんと明るい穏やかな世界になっていっちゃうことも分かって生きられる。人間の世界には言葉があるから人間にとって言葉はその使い方や選び方によって人生を変えられるくらいに威力があるとても重要なアイテムなんだって私は思う。

🌺お客さんとの雑談・氷川きよしくんの話🌺

数年前の70代お客さんの身の上話に思いがけなく氷川きよしくんが登場した話。その方は何年か前に脳疾患の手術後に意識障害で眠り続けていたけれど「夢の中に出てきたきよしくんに命を救われて今も生き続けられている」とその時とても嬉しそうに話していた。その方いわく…よく話に聞くとてつもなく綺麗なお花畑に自分はいて川の向こう側の人たちに向かって歩いていたけれど後ろから大きな声で名前を呼ばれて振り向いたら氷川きよしくんだったそう。その方はきよしくんファンだったから本当に驚いて喜びながら駆け寄っていったところで目が覚め我に返ったら病院のベッドの上だったという実話。私もテレビとかでよく聞く話をご本人から聞けたのは初めてだったので色々な感情でいっぱいになり私にとって貴重な体験となった。不思議なことが好きですぐ信じられる私はそういう事実を聞けたことがとても嬉しかったしとてもワクワクした。人生どこで誰に救われるかわからないものだなって思った。氷川きよしくんの全く知らないところでそれも夢の中で1人の人間の命が救われているこの事実の些細なようで大きなおもしろさが好き。その方にとってきよしくんは途端に「大好き」から「命の恩人」の存在になってしまったみたいで本当に嬉しそうにあの時語ってくれたのでそれが私の全身に伝わってきて私も嬉しくてたまらなくなったことを思い出す。いつも思うことは…自分が関わる人たちの幸せ話は私の免疫力を上げてくれるから健康の秘訣はそこにあると信じられる。

🌺気楽さの獲得方法🌺

一人きりでいるのが安心できて好きだった私は「学校」という場所が苦手だった。幼稚園時代に楽しい思い出を探せない私がいるのには理由があるし小学校も楽しい思い出以外の思い出が印象的すぎて事あるごとに私を悩ませた。中学も高校も楽しかった部分以外はいつも緊張していたから「1人でいるとホッとする自分」をいつも1人で楽しんでいた。そしてそれに付け加え家庭不和だったので家族と一緒にいることも私にとっては何かと緊張することだったから私はこよなく一人ぼっちを好んだ。だから幼い頃から私は部屋で1人でいることが全然寂しくも悲しくもなくむしろ快適さを感じる子どもだった。だからと言って友達ができないわけでもない私はその時々でどこかのグループに所属してはいたけれど感覚としては「今この時を過ごす人」みたいな感じだったから卒業してもずっと続いていく関係性はなかった。だから卒業式で全然泣けない私がいてそれよりも「終わったんだ!!お別れなんだ!!私よく頑張った!!」と心が晴れ晴れしてしまってこれからの新しいことの方に心が向かって行っている私がいるだけだった。ずっとコミュニケーション能力が低かった私は大勢の友達との関係を普通に築ける方法ってなんだかよく分からなかった。そしてその前に私は友達になりたいと思う人を自力で見つけられなかったしその人に偶然にめぐり逢うチャンスもなかったんだと思う。ただ私は心友と呼べる人が1人いるだけで良かったからこんな私がその人に出逢うってことは何か大きな意味があるように思えてだからどういうことなのか?が知りたいしそれを未だに体験したいと思っていたりする。そして人間に苦手意識があったこんな私の人生はそれでも人間と関わることだらけでそれはもうたくさんのそれぞれの集団の中で揉まれて磨かれて「人間嫌いじゃない」に至ったから今となっては集団から逃げなくてホントに良かったんだと思う(あの時は逃げたくて逃げたくてしょうがなかったけどね)。あの時期に逃げないで十分にそこで経験を積めたから今となっては集団から完全に卒業できていて快適な1人の時間を過ごせているんだろうなと思う。あの困難な経験は私の人生の重要な一つのミッションだったんだと絶対に思うから「私はやり抜いたんだ!!」って思えてなんだか嬉しくもなる。だから人生で何かをやり抜くと宇宙からご褒美がもらえるんだってことを経験できてホント良かった。

🌺流れ込むエネルギーの根源🌺

私の2021年の幕開けはしばらくの間心にモヤモヤが残るものになってしまっていた。1月6日に私のうっかりミスで損失を出してしまった。それでもそのうっかりは最後の最後に出した決断だけで済んだのは幸いだったから損失は全体の3割程度だったと思う。でも過去に似たようなことが2回起きていたことをふと思い出してしまったからそのことを忘れてしまっていた自分にモヤモヤしてしまいいつまでも心から離れずにいた。そしてまたその出来事を覆せる可能性はゼロではなかったからどうしようかと少し迷ったけれど熟考した結果自分のミスとして認めて話を複雑にすることをやめにしてみたこともモヤモヤの一因になっていたのだなと思う。だからその時の私は色々とエネルギーの調整的なことをして凌いでいたから顕在意識的には問題はなかったと思うようにしていた。そしてそんな私に思いがけない話が飛び込んできたのは2月になってから。その話はかなり遡る過去から突然に湧いて出てきた嬉しい話で「生きているとこんなこともあったりするのか?」と私に思わせた。その話のおかげで1月の損失を帳消しにできそしてそれを遥かに上回る利益になる予定ができた。3月になってようやく話が進んで利益を受け取ったけれど了承していた金額よりも上乗せされていた。私は直感で「時間がかかりすぎている」と思っていたので担当者に詳細を聞いてみたところこの話のもう一人の関係者が話を複雑にしていたためだったと分かった。それでも私は担当者に聞く前からその答えが直感で分かっていたからだだ確認のために聞いてみたらやっぱりそうだった。だからそう確認してしまった途端に受け取った私の利益が素直には喜べない利益へと変化していき私はなんだかモヤモヤしてしまった。たった一人の「話を複雑にしたい人」の存在によりこの事柄に関わる人たち全員の心がなんだかモヤモヤしているに決まっているとも思ってしまった。「このたくさんの人たちのモヤモヤした気持ちをどうするのがいいんだろう?」「全体のことを考えて嫌な思いをした人たち全員の気持ちがスッキリするために私ができることってなんだろう?」…で私は翌日に担当者に「上乗せされた2人分の金額を先方へお振込します」と電話を入れた。担当者も私の気持ちを理解してくださり私も心がスッキリしてしまったのでこれでいいんだと単純に思えた。結局今回の降って湧いたようなこの利益は2人分の返金と2ヶ所分の寄付(その日のうちに寄付してしまっていた)によりゼロになってしまったけれどもともとなかったことと思えばこのお金は有効に使えたとも言える。いつも私はお金の存在やお金の流れを不思議に思う。出すと入ってくるから入ってきたら感謝して出したりしている。何日か前に「4747」のエンジェルナンバーを見たからここ数ヶ月の出来事の流れとお金の流れは「こうなることになっていた」ということなんだろうと思える。これでいいんだろうなと思えるのは心がスッキリしているからだな。

🌺新時代の自由の波に乗るコツ🌺

去年の12月22日から「風の時代」になるという記事が前もってたくさん私に飛び込んできていた。知らなかったから「へぇ〜そうなんだ〜」ってあの時は読んでて嬉しくてワクワクしどうしだった。だって風の時代のテーマはまさしく私が待ちに待っていたものだったから。だから読めば読むほど「そうなんだぁ〜そうなんだぁ〜」と興味深いワードばかりに心がときめいてしまっていた。新時代をずっと望んでいた私は星の巡りから見てもそういう時代になる事が分かってとてもウキウキした。私には古い時代のあり方を体験する出来事がとある会の場でここ4年間に沢山あった。そしてその度に私の意見を伝えてきたことによる他者の反応の変化と風の時代へのあり方の変化がリンクしているから風の時代が到来している実感に私は尚更心が弾む。最初の1年目は勢力的なグループや個人から叩かれた。2年目は私の意見を聞きたい人と意図的に耳を塞いでいたい人たちがいることを感じた(因みに一年目に私を攻撃してきた個人に「お友達になってください」と言われてとても驚いた)。3年目はまた新たなとある会の場(意図的に耳を塞いでいたいメンバー率いるリーダーは同じ男性)で私が「話を流された」と感じた時に「とても大切なことを言っているのに話をうやむやにしようとしている」とそのリーダーに突っ込んでくれた女性が出現して私はとても驚いたし嬉しかったし思いもよらないことが起こったこのとある会の場を信じてみたくもなった。4年目は意図的に耳を塞いでいたいメンバー内の個人から親切にされるという体験ができたことに喜びを感じた。最初の2年間は私が参加したとある会の参加者やお偉いさん達が「古い体質のあり方を全然疑問にも思っていない意識」に私は疑問を覚えてしまったからとても自由に発言してしまい少しみんなを驚かせてしまったかもしれない。だけれども私にとっては思っていることを全て言えてとてもすっきりとした結果が出せた2年間となった。そして後の2年間は私を助けてくれた人の出現の現実によって私を大いに楽しませるための自由時間みたいな期間を与えてもらえたんだなと思える。些細なきっかけが心強さを生み緊張がほぐれて自由な意志のあり方につながりアイデアがあふれ出す現象は気分爽快だった。そのことを思えば誰もが誰かの影響を受けながら生きているのだから自分に働く最大級のプラスの影響の気持ちの良さの役割は最強の中の最強なんだろうと思う。それを直感で感じられる仲間が結集したのならば良いアイデアが尽きることはないんだろうからこれからますます良い時代になるのだろうと私は本気で思っているし本当に心から「風の時代ばんざい〜ばんざい〜ばんざい〜」だな。